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特別号:アイデンティティの淵源:武士道(1)
                 
                   (02年12月16日配信分)



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■有料版の12月号では<これからの組織・経営管理・仕事>のシリ
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 組織が壊れる時代、知識の自己投資に役立つことを目標に。


こんにちは、吉田繁治です。前号は<随想的断章>をお届けしました。
多くの感想をいただいた。読者の方の「思い」が溢れています。す
べてを読んでいます。全通には、返事を書くことができないことをお
詫びします。ポツポツと書きます。感想をいただき読むことは、書く
者にとっては喜びです。

今日は、宿題になっていた、ホームページの更新を行いました。
14編の論考を一挙に載せました。一度、訪問してみて下さい。

2年で50万アクセスは多いのでしょうか?

1ヶ月に1回くらい、雑記や随想をまじえることにしています。
毎年、12月は、特定のビジネスや経済の現代的なテーマではなく、
随想風に考えたくなる。年の終わりという意識が、そうさせるのでし
ょうか。読者の方も同じかもしれない。

年末になると、テレビでは「忠臣蔵」が流行る。
12月14日は吉良邸への討ち入りの日だった。
今回は、いつもと記述の趣を変えます。
敢えて、死語となった言葉や漢字をまじえながら。

【要約的な感想】

前号の末尾で、<多文化が拮抗するグローバル、ブロードバンド時代
に向かって、日本人のアイデンティティ(拠りどころ)の根になるの
は「武士道」ではないか、それを書きたいと思っていますがどうでし
ょう?>と質問した。書いて欲しいというメールが多数来ました。

これで吹っ切れた。実は、戸惑いがあった。この戸惑いの理由は、現
代の価値観や判断・行動様式と、武士道では、表面では180度異な
る点があるからです。ブリッジが掛けにくい。

メールで目立ったのは、中国、アジア、米国で仕事をされている方か
らでした。海外に住む日本人は73万人(外務省調べ)そのうち20
歳以上の方は50万人という。今後は、すぐその2倍、3倍になるで
しょうね。海外移住を希望する退職者も増加しています。

海外に住んでいれば、旅行ではわからない他国の文化、価値観の根と
の違和があります。ものを買うときは、相手が合わせてくれる。しか
し売るときは、他国の文化や価値観との戦い、心理的プレッシャー、
軋轢、葛藤がある。理解できない、理不尽と思うことが日々たまる。
海外在住者には、その国の文化や人々に対し、愛憎が半ばすることが
多い。

感情を表にあらわさず、困っても笑っている。単にセールスマンでは
ないかと、どこかの誇り高き国の大統領から揶揄(やゆ)された。当
時の首相は、それを聞いて曖昧(あいまい)に笑った。価値観の軸が
理解できない国民と言われてきた。

どんなときも、みだりに感情をあらわさないというのは、実は武士道
に淵源(えんげん)をもちます。切腹のときですら感情どころか、苦
痛も「ソト」へはあらわさず従容(しょうよう)と臨んだ歴史がある。
行動の様式美に、何よりも価値を置く文化(=共有価値観)があっ
た。

日本人がもつ行動の美学を説明できれば、すこしは事態が変わるので
はないか。人と人の間も、国と国の関係も、お互いが異なる価値観を
認めるところから、関係(relation)に至る。本マガジンには中国人
、韓国人の読者も多い。異なる文化の人に、日本人の行動様式の根を
理解して欲しいということもあります。

武士の間では、文書での証文(契約)は二義的なものだった。武士に
二言はないという、口頭での約束は絶対だった。約束をpromiseとすれ
ば、アングロサクソンでも同様にmission(天が与えた使命)に至る重
いものがある。世界の文化は、表面に見える相違を捨象すれば、源泉
では共通するものがある。武士道は西洋騎士道(Chivalry)と共通性
を持ちます。

戦後日本人は、町人や農民が、絶対権を持つ武士に合わせたように、
海外の相手や文化に合わせてきた。それが得意だった。戦後日本は町
人国家だという人もいた。

他方、米国人は、自国の主義と方法を主張する。中国人も米国人に似
ています、フランス人は、文化では自国しかないと思っているふしが
ある。

武士道は軍国主義、独裁、隷属につながるものとして、封建的という
一言で、ひとまとめに否定された。この国の道徳の核は、戦後教育で
はポジションを失った。道徳(virtue:moral)は死語になった。しか
し人の道というものはある。経済以外の善悪正邪を、この国の人々は、
どういった基準で判断するのか。

変えざる部分と変えるべき部分を判断する座標軸を守ることができる
企業が強いように、個人の価値判断にも軸があるのではないか。

武士道は、そういった軸をいたるところで見せてくれる。

本稿は、新渡戸(にとべ)稲造の『武士道(1899)』を素材に、
封建時代と言われる約600年の時代の、武士階級の価値観のコアに
ついて考察を加えます。

『武士道』は、新渡戸の浩瀚(こうかん)な学識で、西洋文化全体と
武士道がどんな関係にあるかを明らかにしようとする試みでした。

新渡戸は外交官だった。外交、つまり異なる価値観との共存のための
折衝では、自らが拠って立つところを明瞭に示すこと、悟らせること
が要諦でしょう。行動様式と価値観に一貫性があるとき、相手はそれ
を認め信用する。一貫性がなければ理解されない。外交でも日常生活
でも仕事でも、文書での条約や契約は、実際、ごく一部分に過ぎない
のです。

にもかかわらず、武士道が育(はぐ)んだ行動様式と価値観が、その
まま現代に通じるとは思っていません。しかし、武士道を念頭に置き
つつ行動するということは、他の文化との関係や個人の軸を定めるた
めの、方法ではないかと思うのです。伝統というのものは我々の血脈
になっています。少ない言葉でも、鍵になるところを明かせば、すっ
と感得できる。日本人にとって武士道はその一つでしょう。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

     <アイデンティティの淵源:武士道(1)>

  【目次】

 1.新渡戸稲造
 2.武士道の表象は桜
 3.義理の展開
 4.勇
 5.痛烈な「宿命」の受容

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■1.新渡戸稲造

紙幣の1万円札は福沢諭吉、5千円札は新渡戸稲造、千円札は夏目漱
石です。『学問のすすめ』や『文明論の概略』の福沢諭吉と、『我輩
は猫である』や『坊ちゃん』の漱石は、多くの人が知っている。新渡
戸稲造とは何か? 改めて5千円札を眺めてみてください(笑)

「少年よ大志を抱け」で有名なクラーク博士が開いた札幌農学校に内
村鑑三らと学び、1883年(明治16年)に東京大学に入る。

入学の面接で「私は、西洋の思想を東洋に、東洋の思想を西洋に伝え
る架け橋になる」と壮語(そうご)した。21歳の時です。明治時代
には、現在はだれも使わない「大志」や「青雲の志」が活き活きとし
た意味をもっていた。

なぜ今、大志は死語になったか。安定が安住になり、決意が損得にな
ったからでしょう。安定に安住できればそれでもいい。しかし、今は
安定への安住がすべての経済問題の根になっているのではないか。

実のところを調べれば、損得で大事業を作った人はいない。多くが何
者かから受けた使命感から来ています。周囲の皆が損得で動く。そう
すると、少数の使命感を持ち得た人は、輝く。

西郷、木戸らと薩長連合を策した坂本竜馬が、京都で暗殺されるのは
28歳(1867年)です。江戸末期から明治という体制の転換時代
は、20代の血潮に躍動の場を与えた。彼らは経済の損得や報酬で動
いたのではない。社会への使命感で動いた。武士道の用語では使命感
を「世間(=社会)への義理」と言った。

今の時代は、下克上の戦国時代に似ている。官も含め、安定していた
かに見えてきた大組織はいたるところでほころび、悲鳴を上げている。
下克上の時代に、この国では武士道を生んだ。

新渡戸はペンシルバニア州で病床に伏し、妻メアリーに看病を受けて
いる折、雄渾(ゆうこん)な英文で『武士道』を著す。1899年(
明治32年)、当時38歳、日清戦争の4年後、日露戦争の5年前で
す。新渡戸は、世界の文化のなかでの日本人の存在証明をしたかった。

ベルギーの法学の大家と話しているとき、<(日本人には)宗教なし!
 どうして、道徳教育を授(さず)けるのですか?>と繰り返し問
われた。新渡戸は、答えにまごつく。我々もまごつくでしょう。

道徳とは古い言葉です。いいこと、悪いことの判断基準、そして行動
と価値観の軸と言い換えてもいい。日本人は、宗教なくして、どうい
う基準で、これも古い言葉ですが「正邪善悪の判断」をしているのか。

誰にとっても、この問いに答えるのは難しい。マネーや経済以外の価
値基準を、日本人はもっているのか。正邪善悪の判断に軸をもたない
で、時代論や状況論のみで生きることができるのか。生活でも仕事で
も、生き方でもマネー以外の領域での判断の部分が、ずっと大きい。

<私(新渡戸)は、私の正邪善悪の観念を形成している要素の分析を
始めてから、これらの観念を私の鼻腔に吹き込んだものは武士道であ
ることをようやく見い出したのである。(『武士道』:岩波文庫版P
11)>

観念を鼻腔に吹きこむ・・・そう、武士道は日本人がどこかで共有し
ている「気品のような匂い」です。書きあらわした啓典(文書)があ
るわけではない。しかし、書きあらわさねば、特に海外の人々には伝
わらない。日本人ですら、武士道とはなにかと問われれば、答えに窮
する。

はっと思ったことがある。1000年経れば我々の身体は2000万
人もの祖先の血とDNAを受け継ぐという。自分を一番下において系
図を描けば、それが見えるはずです。

江戸時代の武士階級は200万人だった。当時の3000万人と言わ
れる人口の約7%です。武士道は、封建時代の支配階級の掟(おきて)
とされた倫理だった。武士階級は、今で言えば、政治家と官僚です。

人の上に立つということは、困難なことです。武士は生産をしなかっ
た。モノを生まず、統制する。行政的な執務と軍役のみをした。

生産や流通をする民に対し、武士は、自己の階級が上に立つことがで
きる存在証明をするために、武士道という行動様式を生んだとも言え
ます。武士は、世間への義理を感じ、民の上に立つリーダーたるべき
資質を練磨したのです。民が支配階級たる武士を尊敬した理由は、
「義=正道」に奉じる(serveする)武士がいたからでしょう。

今、政治家と官僚に武士道があるか。公務員、公僕を意味するservan
tのserveは、神に仕えるということから来ています。サービスの原義
でもある。いま、政治家と公務員に武士道が見えるかどうか。正道を
行うという根拠によってのみ、servantが行政を行うことができた。民
主政治の代議制でもこの精神は変わらないはずです。

公務員(≒武士階級)は、競争と経済が評価になる民間のサラリーマ
ンとは違い、道徳と倫理に基づかない限り、自己の組織を生活共同体
として、支配できる権益を拡張する方向に向かうことになる。

こうしたとき民の心は離れる。公務員にとって、自己規制の枠になる
道徳は行動の核でなければならない。今、この国に公務員「道」はあ
るか。ないとすれば、何を価値観の軸に、行政や行政サービスを執務
しているのか。

封建時代と言っても通じないかもしれません。その起源は中国の周の
時代、天子の下で諸侯が土地を領有し、分割された自領の全権を握る
制度です。西欧の中世と共通化すれば、領主が家臣に封土を与え、家
臣はその対価として軍役の義務を負う主従の制度です。

領主は民に対し絶対権を持っていた。絶対権をもつことは、他からの
コントロールを受けない。そうなると、自己規制が必要になる。それ
が、わが国の封建時代には、知行合一の武士道だった。

新渡戸が書いた英文の『武士道』は、西洋の宗教や倫理と対比しなが
ら、伝統的日本人のエスプリを明らかにしたものとしてベストセラー
になり、世界の言葉に翻訳された。海外から見れば、勃興する日本は
謎の国だった。?2002年の今も、謎の国でしょう。

中国あるいは北朝鮮に向かって、お金や経済以外の、日本人の価値観
や判断基準を明言できる人は今はいない。米国には、いろいろ問題が
ある。しかし彼らは、独裁国家と戦う自由主義という核は守る。

ブッシュ・ドクトリン(外交原則)で(02年9月21日の発表:Finac
ial Timeより)は以下のような宣言をしています。

<20世紀は、自由主義と全体主義の戦いだった・・・国を敵から守
るのが、連邦政府の責任(コミットメント)である・・・自由経済を
守るため、独裁国家と大量破壊兵器をもつ国に対しPre-emptive(=先
制的)な攻撃を行う必要がある。>

米国をして(当否は別にして)戦争を正当化させるのは、米国流自由
主義のイデオロギーです。ここが崩れれば今のUSA(多文化の合衆
国)は成立しない。では、我々はどういう主義をもっているのか。こ
うしたことこそ、論争と思索の焦点でなければならないと思います。

1919年(58歳)、新渡戸は国際連盟の事務次長になる。博学か
らにじみ出る見識で、国際連盟の輝く星と賞賛された。テロリズムに
命を狙われながら、日米戦争の回避に尽した。没年は1933年(7
1歳)だった。日本は、世界への架け橋を失った。

新渡戸の『武士道』をたどりながら、我々の価値観、行動様式の淵源
を探ります。(原著、矢内原忠雄訳は擬古文です。引用は、筆者の解
釈で現代文に変えています)

米国で90年代にまとめられたリーダシップにはテクニカルな面もあ
りますが、東洋的な道や徳の香りがあります。武士道にも通じる、人
格や品性という概念です。今の日本でも、あの人は古武士のような人
だと言うとき、尊敬をこめています。伝統はこうした言葉に生きてい
る。

武士道における価値観が、そのまま現代にも通じるとは思いません。
しかし、日本人としてのコアを確認することは、混乱と激動の時代、
大切なことでしょう。その意味で新渡戸の『武士道』導きの糸にしま
す。武士道は、戦乱の混乱の中で生まれた。混乱とは、価値判断の軸
が、無原則に振れることです。

<16世紀の中頃に至るまで、日本においては政治も社会も宗教もす
べて混乱の中にあった。しかしながら内乱、野蛮時代に返るような生
活の仕方、各人が各自の権利を維持する必要、これらはテーヌ(英国
の文学者)により「勇敢な独創力、急速な決心と決死的な着手の習慣、
実行と忍苦との偉大な能力」を賞賛せられた16世紀のイタリアに
おけると同様・・・p37>

16世紀のイタリアは、中世から近代へ向かう価値観の混乱の中で、
ルネサンスの天才たちを生んだ。古代ギリシアの文化の復古と再興だ
った。

武士道は、わが国の歴史上、最も不安定な、下克上の時代の不安な日
々に、安定した処世訓と道徳を与え、江戸時代になってその様式を完
成させた。

2.武士道の表象は桜

義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義、克己の7要素を、新渡戸は武士道
の核にある行動様式、判断基準、価値観とする。なんとなく、わかる。
しかしその内容は?と問われれば戸惑うはずです。

武士道を映像的な表象(シンボル)と匂いにすれば「桜」だという。
任侠(やくざ)の映画で、「義」のために刀を抜き、桜吹雪の中を走
って、悪の巣窟へひとり乗り込む。不義の輩(やから)を斬ったあと、
敵の卑怯な銃で撃たれ倒れる。そうした映像が浮かびます。刀は日
本の精神、桜は武士道、銃は邪悪のシンボルでしょうか。

【義】

まず「義」とはなにか。条理、道理、ものごとの理(ことわり)、理
は「田畑につけた筋目」という語源から来ている。

<義は武士の掟中、もっとも厳格なる教訓である。武士にとって卑劣
なる行動、曲がった振る舞いほど忌(い)むべきものはない。p39>

卑劣とか曲がった振る舞いは、直観的にはわかりますね。しかし論理
的には、何に比較し曲がっているのか、まっすぐで真性なものは何か
となると答えは簡単ではない。

<義は・・・裁断の心である。道理にまかせて決心して猶予(ゆうよ)
しない心を言う。死すべき場合に死に、討つべき場合には討つこと
である。p39>

鍵になるのは「道理」です。道理は、ものごとが、そうあるべき筋道、
言い換えればreason(条理)、right(正当)、justice(正義)、tr
uth(真実)などを含むものです。

科学の真理にも似ている。しかし科学には「理や法則」はあっても、
人の道(みち)はない。科学は、人間がいなくても、繰り返し再現す
る自然の法則を探求する。引力の法則は、人間がいなくても働く。

道徳で言う正義(Justice)は、自然科学とは階層が違います。社会科
学、人文科学、イデオロギーに属する。米国は、自由主義や市場経済
を正義とし、専制国家を悪とする。正義は人間社会が決める。正義に
叶わないとき、卑劣な行動、曲がった振る舞い、邪悪と見なされる。

<人は才能あっても学問があっても、節義がなければ世に立つことは
できない。節義があれば無骨、不調法でも士であることができるp39>
 

士は武士です。才や学問より、節義(義を守ること)の価値を上に置い
た。ここで言う節義とは、「正道」を行うこととされる。「正道」は、
天が与えた人の道とでも言えるものでしょうか。このとき、「天」
とはなにか。天の下(天下:地上)は、世間(=社会)だった。

天には人を超えたものという意味がある。キリスト教やイスラム教で
は神でしょう。中国やわが国では、天子(国王や領主)のことだった。
正道を天が与える命令とすれば、それを果たすことは使命(mission)、
義務(oblige)になる。

中国にも、日本にも、キリスト教や特にイスラムが言う意味での絶対
宗教はないように思えます。天子は中国では、今は、世俗的な国家主
席です。日本人の国家を含む価値観には空洞があると言われてきた。
新渡戸はこの価値観の空洞に、武士道という解答を見出したのです。

<宗教なし! どうやって道徳を教えるのか?>と新渡戸が問われた
とき、彼は、日本人の価値観のコアとして武士道の「義(Justice)」
を考えた。

新渡戸は、天の正道である義(Justice)の概念から、世間への「義理(
duty:obligation)」を導く。

■3.「義理」の展開

<義理という文字は、「正義の道理」の意味であるが、時がたつにし
たがい、世論(=世間)が履行を期待する漠然たる義務の感を意味す
るようになった。その本来の純粋な意味においては、義理は単純明瞭
な義務を意味した。p40>

「義務」はなすべきことに対する責任と言えます。「自分が正義(Jus
tice)と考えるものに照らした、なすべき義務(duty)」とはなにか。

どうか、読者の方々も一緒に考えて下さい。世間や社会(society)に対
する自分の義務(duty)と言えるようなものを、現代日本人はもって
いるか。私の、義(justice)から発する義務(duty)とはなにか? 

武士が命以上に大切にしたものは、主君、親、世間への義理です。義
理は、命より大切なものだった。私は、自分の命以上に大切にするも
のを持っているのか。それを持つことが道(mission)か。

<義理は義務である。義理は「正義の道理」が我々になすことを要求
し、かつ命令する以外の何ものでもない。正義の道理は、我々の絶対
命令であるべきではないのか。p40>

「絶対」は、有限な人、社会、文化を超えるものでしょう。その絶対
から命令をうけたことを、成すべき義務という。そうすると、「絶対
的な正義(Justice)」があって、人は、それを義務として果たすという
構造がある。人を超える絶対を認めるなら、それは宗教です。

しかし武士道は「絶対」に至るような宗教ではなかった。いわば、世
俗的な処世訓(virtue:moral)です。もっと強い言葉で言えば、行動と
価値(value)の判断の「掟(おきて)」だった。ムラ社会の掟と言って
もいい。その掟に殉じる人を武士と言った。ここが、伝統的日本人の
価値観の構造だった。

新渡戸はキリスト教の「愛」と対比しながら、義理がどんなポジショ
ンを占めるか、宗教との違いを以下のように述べます。

<義理は道徳における第二義的な力であり、動機としてはキリスト教
の「愛」の教えにはなはだしく劣る。愛は「律法」である。私の見る
ところ、義理は、偶然的な生まれや実力に値せざるえこひいきが階級
的差別をつくりだし、その社会的単位は家族であり、年長は才能の優
越以上に尊ばれ、自然の情愛がしばしば恣意的、人工的な習慣に屈服
しなければならなかったような、人為的社会の諸条件から生まれ出た
ものである。p41>

封建社会の矛盾を隠し、秩序を維持するための行動原理も「義理」に
は付きまとっていて、そのため義理という観念は、堕落することがあ
った。(律法は、人間を超えた原理とでもいう意味のものです。)

娘が、父の放蕩の費用を得るために花柳界に身を売るということも、
「親から受けた恩への義理」を果たす行為として、是認されるような
ことにもなったと言います。

「義理」は、両親、目上のもの、目下のもの、社会など、いわゆる自
分が世間に負い、しかも「道理」が命じる義務だった。戦後社会の「
民主教育」は、義理を位置づける場所をつくらなかった。義理の代わ
りには、武士にとっては忌み嫌べきとされた損得勘定や経済が来た。
これは町人的価値観だった。

現代社会では、義務と責任は、「権利」と対(つい)になっています。
西洋近代は、ルソーが説いた自然権とともに始った。権利と義務は
コインの裏表です。権利があれば義務がある。何に対しての義務か。
武士道では以下のように考えた。

武士道には、近代社会が生んだ人権という観念はない。主君、親、目
上のもの、そして家に対する義務、つまり義理があった。生まれて、
食し、生きていることで、それだけで果たすべき義務、「義理」を負
うと武士道は考えた。

生産に従事しない武士階級が、自らの存在意義の根幹を考えたとき、
自分を生かしてくれる「世間」への義理を果たすことが義務になった
のです。

今でも我々は、経済的な損得で動く人より、義理(=世間への義務)
・人情(=仁:惻隠の情)を尽くす人を、心の奥では信用します。我
々の血脈に流れている伝統です。才覚より節義、知識より人間性、タ
テマエかもしれませんが、

これらは西洋、中国にも共通する見方です。中国人の価値観のコアは、
人との信義(=幇:ほう)です。西洋的には神との契約による使命
(=mission)です。武士道では世間への「義」でしょう。

<ややもすれば詐術が戦術として通用し、虚偽が兵略(戦略)として
通用した(武士の)時代にあって、この真率正直な男らしい徳(=義)
は、最大の光輝をもって輝いた宝石であり、人の最も高く賞賛した
ところである。p40>

使命が西洋人にとって、信義が中国人にとって、人が目標とすべき徳
(virtue)であるように、武士は義を果たすことを義務とした。

4.勇

こうした「義」と対(つい)になるものとして「勇」があります。勇
とは、義(ただしきこと:Justice)が命じることを果敢に行うこと。
義は観念ですが、義を実行することを勇と言った。これを知行合一(
知識と行動が一致すること)とも言った。

勇を説明するものとして、意志の強さを言う剛毅、何もにもくじけな
い不撓不屈(ふとうふくつ)、自分より大なるものを恐れない大胆、
大事に直面しても平静さを失わない自若(じしゃく)等がある。これ
が、日本人のフェアの概念でしょう。武士は卑怯さを何よりも嫌った。

<戦闘におけるフェアプレイ! 野蛮と小児らしさのこの原始的なな
感覚のうちに、はなはだ豊かな道徳の萌芽がある。これはあらゆる文
武の徳(virtue)の根本ではないか? 「小さい子をいじめず、大きな
子に背を向けなかったものという名を後に残したい」と言った、小イ
ギリス人トム・ブラウンの子供らしい願いを聞いて我々はほほえむ。
けれどもこの願いにこその上に偉大なる規模の道徳的建築を建てるべ
き隅の首石(おやいし)であることを、誰が知らないであろうか。P30>

公正:フェア(fair)という、米国人が時には都合よく使う言葉にも、
こうした含意を淵源にすることを記憶しておいてもいいでしょう。卑
劣や臆病は、古今東西、人格に向けられる最大の侮辱です。勇者は西
洋でも中国でも日本でも変わらない。フェアを根底にする。

武家の母は、子供が痛みに泣けば、諭(さと)す。<これきしの痛み
で泣くとはなんという臆病者です! 戦場で汝の腕が斬りとられたら
どうします。切腹を命ぜられたときはどうする!p44>

武士においては死と生は、隣り合わせだった。生きることは死の覚悟
だった。死を帯びながら生きる。死が生の結論だった。武士は町人や
農民とは違い生産をせず、統制と行政のみを行ったからです。

民に5公5民の重税を課し、強制的に収奪するとき、武士階級に世間
への節義、正道への奉仕が見えなければ、反乱や一揆が起こる。節義
は、現代風の用語では、目標へのミッションでしょう。

【死を帯びる平静】

<勇が人の魂に宿る姿は、平静すなわち心の落ち着きとして現われる。
平静は静止的状態における勇気である。・・・真に勇敢なる人は常
に沈着である。彼は決して驚愕に襲われず、何ものも彼の精神を乱さ
ない。激しき戦闘の最中にも彼は冷静である。大事変の真ん中にあっ
ても彼は心の平静を保つ p45>

リーダーが心を乱せば、チームは混乱に陥る。そうすればリーダーの
第一要件は、ここに描くような「義を果敢に行う勇」ではないか。勇
は、究極まで行けば、死と同居し、宿命を平静に受け入れることとな
る。

<地震も彼を襲わず、彼は嵐を見て笑う。危険もしくは死の驚異に面
して歌を吟ずる者、かかる人は真に偉大なる人物として我々の賞賛す
るところであり、その筆跡もしくは声音従容(しょうよう)としてな
んら平生と異なるところがないような人は、心が大なることのなによ
りの証拠である p45>

すべての武士がこうだったわけではない。大切なことは目標概念を持
つことです。武士はその行動の美学に向かい修練を重ね、準備をして
いた。

■5.痛烈な「宿命」の受容

人にとっても、動物にとっても、恐怖の最大は死でしょう。しかし、
パレスチナでは、義のために自爆テロを日常的に起こす人がいる。9
.11も大規模な自爆テロだった。我々の歴史では、60年弱前の歴
史では、学徒出陣と特攻がある。自分の命より大切にすべきものがあ
ると考える人もいる。

武士道を解くには、どうしても名誉を守るための切腹がどんなもので
あったか、それを抜きにすることはできない。

<切腹がわが国民の心に一点の不合理も感じさせないのは、他のこと
との連想のためだけではなく、特に身体のこの部分(腹)を選んで切
るのは、これをもって霊魂と愛情の宿るところとなす古き解剖学的信
念に基づくのである。P98>

なるほど、腹を切るとは、そういった意味を含んでいた。腹がすわっ
た人という意味、腹を固めるということもこれで分かる。

<わが霊魂の座(腹)を開いて君にその状態を見せよう。汚れている
か清いか、君みずからこれを見よ。p98>

新渡戸は、武士道において、名誉を守ることを含む複雑な問題の解決
する最後の手段として切腹があったという。功名心のある武士は、自
然の死に方を意気地、勇のないものと見て、自然の死は熱心に求める
最期(さいご)ではないと考えた。

名誉を守ること、功名心、これは痛烈なことだった。死よりも重いも
の、むしろ死をもっても高めるべきものが、名誉だった。切腹は自己
否定であるとともに、裏返って個人の義と名誉を守ることであった。
近代以前、世界中で死は日常だった。今我々は、それを病院に閉じ込
める。死を知らない。

<切腹は単なる自殺の方法ではなかった。それは法律上ならびに礼法
上の制度だった。中世の発明として、それは武士が罪を償い、過ちを
謝し、恥をまぬがれ、友を贖(あがな)い、もしくは自己の誠実を証
明する方法であった。p100>

上の文の末尾にある、「誠実(=義への忠誠)」は、現代の日本人が
最も重んじる価値ではないかと、最近考えています。日本人同士の契
約では、本契約に定めのない事項は、双方「誠意」をもって解決に当
たることという「呪文」が書かれる。呪文は武士道から受け継ぐもの
でしょう。呪文には意味があった。武士は、自分の誠実さを証明する
ために、切腹までを受け入れた。

武士は、証文を書くことは少なかった。大切なことは、口頭の約束と
信義だった。二言はなかった。信義を裏切れば、死が待っていた。

以下、痛切ですが、『武士道』にある切腹の儀式を引用します。江戸
末期、神戸で外国人を殺傷した滝善三郎の切腹を目撃したミットフォ
ードが、『旧日本の物語』に記したものと言います。

私が付け加えるべきことは、何もないのですこし長い引用になります。
武士の脳裏には、いつも、こうした映像があった。

4半世紀前、市谷の自衛隊に憲法改正の決起を促し支持をうけず切腹
をした小説家、三島由紀夫もこの儀式を焼き付けていたはずです。武
士の本質がわかる見事な映像です。ゆっくり、読んでみて下さい。

<我々7人のが外国代表者は日本検使に案内せられて、儀式の執行さ
るべき寺院の本堂に進み入った。それは森厳なる光景であった。本堂
は屋根高く、黒くなった木の柱で支えられていた。

天井からは寺院に特有な巨大な金色の燈籠(とうろう)その他の装飾
が燦然と垂れていた。高い仏壇の前には床の上三、四寸の高さに台を
設け、美しき新畳を敷き、赤の毛氈(もうせん)が拡げてあった。

ほどよき間隔におかれた高き燭台は、薄暗き神秘的なる光を出し、よ
うやくすべての仕置きを見るに足りた。7人の日本検使は高座の左方
に、7人の外国検使は右方に着席した。それ以外には何人(なんびと)
もいなかった。

不安と緊張のうちに待つこと数分、滝善三郎は礼服をつけ、しずしず
と本堂に歩みいでた。年齢33歳、気品高き威丈夫であった。
1人の介錯(かいしゃく)と、金の刺繍をした陣羽織を着用した3人
の役人がこれに従った。

滝善三郎は介錯を左に従え、静かに日本検使のほうに進み、両人とも
にお辞儀をして、次に外国人に近づいて同様に、おそらく一層の丁重
さをもって敬礼した。

静々と威厳あたりを払いつつ、善三郎は高座にあがり、仏壇の前に平
伏すること二度、仏壇を背にして毛氈の上に端座し、介錯は彼の左側
にうずくまった。3人の付き添い役中の1人はやがて白紙に包んだ脇
差を三宝(神仏に供え物をする台)にのせて進み出た。

脇差とは・・・切っ先と刃は、かみそりのように鋭利なものである。
・・・彼は恭(うやうや)しくこれを受け、両手をもって頭の高さま
で押し戴たる上、自分の前に置いた。

再び丁重なる辞儀(じぎ)をなしたるのち、滝善三郎、その声には痛
ましき告白をなす人から期待されるべき程度の感情と躊躇(ちゅうちょ)
が現われたが、顔色、態度、ごうも変ずることなく語りいずるよう、

「拙者(せっしゃ)ただ1人、無分別にも誤って神戸なる外国人に対
して発砲の命令を下し、その逃(のが)れんとするを見て、再び撃ち
かけしめ候。拙者その罪を負いて切腹致す。おのおの方、検視のお役
目ご苦労に存知候」

またもや一礼終わって、善三郎は上衣を帯元まで脱ぎ下げ、腰の辺ま
で露わし、仰向(あおむ)けに倒れることなきよう、型のごとく注意
深く両袖を膝の下に敷き入れた。高貴なる日本士人は、前に伏して死
ぬべきものとされたからである。

彼は思い入れあって、前なる短刀をしかと取り上げ、嬉しげに、さも
愛着するばかりこれを眺め、しばらく最期(さいご)の観念を集中す
ると見えたが、やがて左の腹を深く刺して、静かに右に引き回し、ま
た元に返して少し切り上げた。

このすさまじくも痛ましい動作の間、彼は顔の筋一つ動かさなかった。
彼は短刀を引き抜き、前にかがみ首を差し伸べた。

苦痛の表情が始めて彼の顔をよぎったが、少しも音声に現われない。

この時まで側にうずくまり、彼の一挙一道を身じろぎもせずうち守っ
ていた介錯は、やおら立ち上がり、一瞬大刀を空にふりあげた。秋水
一閃(しゅうすいいっせん)、物すごき音、どうと倒れる響き、一撃
の下に首体はたちまち、所を異にした。

場内、寂として死せるがごとく、ただわずかに、われらの前なる死首
よりほとばしりでる血のすさまじい音のみが聞こえた。この首の主こ
そ、今の今まで勇邁剛毅(ゆうまいごうき)の丈夫だった。

介錯は平伏して礼をなし、かねてより用意した白紙を出して刀をぬぐ
い、高座より降りた。・・・滝善三郎の処刑、とどこおりなく相済み
たり、検視せられよと言った。儀式はこれで終わり、我らは寺院を去
った。p103>

【蛇足的なこと】

言葉を失います。凄惨な場面での、ここまでの洗練と礼は、野卑で野
蛮とは思えない。感情の極限的な抑制、すなわち克己にまで至ってい
なければ、こうしたことが行えるはずもない。この覚悟を幼少からも
った人間は、雄渾な道を描くはずです。

行った行動が、世間によって「義理」と「誠」に反することとされれ
ば、抗弁をせず切腹する、これが武士階級を支えた道徳だった。そう
した武士階級の「掟」が、武士への民の尊敬と敬服を生んだ。

武士道については、まだまだ解くべき核、つまり誠、仁、礼等があり
ます。私の意志は、武士道の礼賛ではありません。600年の間、多
くの武士が学び、訓練し、大切にし、目標にした価値がどんなものか、
それが、我々とどうつながっているのかを知ることです。

戦後の日本人は、経済にすべてを託し、米国や中国を筆頭とする外部
世界に対し、時代論、状況論、神学論争的な歪んだ解釈で身をかわし
てきたところがあります。

他国から、善悪正邪の原理論で迫られたとき、状況論は弱い。短期的
な損得や状況を見るだけの右顧左眄(うこさべん)になる。

価値観が入り乱れる多文化のグローバル時代は、軸足の設定がないと、
イスラムを含む強烈な原理論に圧倒され、自分を見失い続けます。
(次号へ続く)

see you next week!!

【案内1】
12月1日に全国の書店で発売された『販売革新12月号』では、日
本ではゆがんで特殊な形になっているチェーンストア論ではなく、「
リテイルマネジメント」という新しい角度から、流通業の課題を解い
ています。

【案内2】
『ウォルマートのデータウエアハウス:Data Warehousing,Using Wal
-Mart Model』が翔泳社から来春早々、翻訳・出版されることになりま
した。私は、序文、解説を書くことの依頼を受けています。お楽しみ
に。

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