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こころの闇(第1部):
              現代人のこころの構造を解く
              生きる意味の根源
              東電OL:渡邊泰子のこころの構造
こんにちは、吉田繁治です。先日ある会議のあと、書店に立ち寄って、習慣で、話題のビジネス書を買いました。いつものことですが、買った10冊のうち、9冊くらいはつまらない内容だろうなとは思いながら、その1冊を求めて目を通すことにしています。

棚をながめていると、いつか読もうと思っていた『東電OL殺人事件』(佐野眞一:新潮社:2000年)が目に付いた。

▼あえてこの「事件」を私が取り上げる理由

ビジネス領域のマガジンで、このテーマを取り上げるのは、不適切と思われる方がおられるかもしれない。しかし私のスタンス(姿勢)は、いろんなことは、根底的な部分まで遡(さかのぼ)ると、根でつながりがあるという仮説です。知識や学は、制度上専門に分割されている。しかしそのすべては、「人間という全体」にかかわる。

【イマジネーションという手段】
根底的なことへイマジネーションで至ることは、組織、仕事の面、家庭の面、そして個人の生き方、問題の処理の仕方にかかわり、大きな意味があるのではないかと思うのです。

「東電OLの渡邊泰子」という事件は、精神に異常をきたした女性の、好奇心を刺激する猟奇的な事件であって、普通のひとには無関係なこととして、片付けることはできないように思えます。

風化】
絞殺事件は井の頭線の神泉駅に近いアパートの一室で1997年3月に起った。4年が経っています。裁判の一審が終わったのは2000年4月。佐野眞一氏が『東電OL殺人事件』を出したのが2000年5月です。

世の中の動きは加速し、特に、ここ数年は「普通の人」の異常な事件が次々に起って、誰も追い切れず、時が経つと風化がおこります。大切なことを未整理のまま風化させ、蓋をするのが情報社会の特徴です。

「渡邊泰子の事件」は、キャリアウーマンといわれる階層の女性のとても強い関心を惹(ひ)いた。今でも、同じです。意識的に、または無意識に押さえている「根底的なこと」だったから。

【メッセージ】
渡邊泰子が残したとても大切なメッセージが、受け手を求め、さまっているように感じます。その「メッセージ」に迫り、われわれに共通の問題として、浮かびあがらせることができればと思うのです。

テーマは<こころの闇(やみ)>


Vol.45<随想:こころの闇(1)>の項目
1.気がかりだった
2.社会との直面
3.かすかな個人的接点
4.アウトライン
5.社会規範との戦い
6.精神のバランスというもの
7.精神分析が準備しているもの


■気がかりだった


▼渡邊(わたなべ)泰子

【事件】
1997年3月、東京電力の経済調査室副長のポジションにあった渡邊泰子(当時39歳)が、井の頭線神泉駅のそばの、古ぼけた木造モルタル塗りのアパートで、数人の男とのコンドームを使った性交をした後、絞殺死体で11日後に発見された。

【容疑者】
ネパール人、ゴンビダ・プラサド・マイナリ(当時30歳)が強盗殺人犯の容疑で逮捕された。3年の裁判を経て、2000年4月に東京地裁は無罪を言い渡した。検察は控訴した。

【自ら課したノルマのように】
渡邊泰子は東京電力を5時に退社すると、渋谷109の化粧室を使い、長い髪のカツラをつけ、痩せた身体にベージュのコートを羽織り、渋谷・円山町に立ち、1日4人の客を拾うことを義務にし、1回の外泊もなく、井の頭線の終電で母と妹の待つ、杉並区・永福の自宅に帰る毎日だった。

土曜・日曜も、五反田にあるホテトルで、電話を待っていた。最期(さいご)のころは毎週30人くらいの男を、客にしたことになる。

売春は32歳ころから始まった。絞殺される39歳まで7年も続いた。手帳には、楷書で書かれた売春の記録があった。会社の引出しには、本人がワープロで打った、売春の広告らしいものが残っていた。

▼気がかり

渡邊泰子は、私のこころの底で、ずっと気がかりだったのです。
『事件』を帰宅の電車で読み始めそのまま450ページを読んだ。

【判然としないもの】
判然としないものが残っています。著者の佐野眞一も述べているように、ルポルタージュとしては近親者への取材ができなかったという決定的な欠陥がある。さらに、東電の職場での取材協力も得られていないし、フーゾクで働く女性の取材もない。

マスコミは、<東電の美人OLが売春を行い、絞殺された猟奇的な性犯罪>との観点で、いつものことながら、好奇心本位の記事に終始した。こうしたことに人々の好奇心が沸くのは普通です。それを非難しようとは思わない。しかし、そこに留まるのはどうか?

【解くことを待つメッセージ】
「渡邊泰子が発したメッセージ」が一体なんだったのか、そのことは闇から闇に葬り去られる。このままでいいのだろうかと思う気持ちが残るのです。

イマジネーションの力で、そのメッセージに迫ることはできないだろうか、というのが私の姿勢です。

▼書くことの目的

われわれの、そして私のこころの奥に、一体なにがあるのか、それを探ること。殺人の真相と顛末(てんまつ)、真犯人が誰かとの推理は、私の役割ではない。

高学歴で優秀と世間から言われるような、多くのキャリアウーマンに共通の、日本の会社や家庭での<きつさ>に想いを馳(は)せたい。
この問題については、まともな考察をほとんんど見かけない。
果たして、それでいいのだろうか?

1980年にはわずか10%に過ぎなかった女子の4年制大学卒は、1990年代になって急速に増え、2001年では40%を超えている。こうしたことは、職場、社会、家庭に大きな変化をもたらす。

男子大卒が急速に増えたのは1970年代だった。20年遅れで、女子4年制大卒がその域に達した。しかし仕事では女性のポジションは、社会的に定まっていない。特にこの国の多くの男たちは、この問題を、まともに考えていない。私自身の、個人的な反省でもあります。


■社会との直面

職場

女性はサブを離れ、上級の立場になると、男社会に対して「論理と成果」で立ち向かうしかないように思える。しかし職場は、単に仕事だけをする抽象的な場ではない。人間の全体がかかわる。

仕事の頭だけ、仕事の手や脚だけを、切り離すことはできない。
思考、感情、身体のすべてを含めた人間の全体がかかわる。

男の占有領域だった上級職に侵入したキャリアウーマンは、多くの場合部署に一人であって、論理と成果での、抽象的な、孤立した戦いを迫られる。

周囲が<どうせ女だ>と見ていることは伝わる。男たちの仕事の面での隠された強い「嫉妬」も。嫉妬心が女性のものと思うのは大まちがい。部下や周囲の男たちが、上司が女性であることを、歓迎していないことはわかっている。あらゆることの理由に「おんなだから」という書かれないしるしがつく。

通勤の電車では、男たちが熱い息とイヤな体臭で、電車の振動や揺れに合わせて、微妙に手や腿を寄せてくることも、知っている。
私は、彼らにとって、性器を備えたナマの「おんな」だ。

上司から夕食にと「軽く」誘われる。理由の陰で、何が目的か、日ごろの態度や視線でうすうすは分かっている。すれすれのところでスマートに逃げなければならない。あかあらさまな拒否は示してはならない。

こうしたことのすべてに、うまく距離を保ちながら微妙にバランスをとって、仕事や生活をしなければならない。

社会規範

男性上級職がソープランドで「買春」をしたことが分かったら、笑い話にはなってもそれだけで会社で不利な扱いを受けることはまずない。ブランドを着飾った女がいる高級クラブに行くのは一種のステータス。多種多様の娯楽装置を、男のために社会は用意している。

キャリアウーマンが、密かにホストクラブに通っていることや「買春」していることが分かったら? おそらく他の理由を見つけ、重要な職は降ろされるんじゃないかなぁ。

「売春」しているとなったらもう論外。仕事は一刻も任せられない女とされる。アブナイ、「世間」への会社の不名誉とされる。
男にとっては許容されることが女には許されない、なぜだろう?

社会は、男にとっての「娯楽」の装置を準備している。仕事以外の、「人間の全体」にかかわるところでは、社会が、本能や性にかかわる部分を「装置」として分けている。仕事を離れた場での個人的な行為が、犯罪でなければ、仕事と結びつけられることは少ない。

女性にとって、とりわけ「性行動」にかかわるところで、強靭で固い社会規範と侵犯してはならないタブーがある。

最近は、女性の能動的な性欲を社会は認めるようになってきた。すこしずつタブーは解かれてはいる。渡邊泰子も売春の相手客に言っている。<日曜日の朝、オナニーする時が、いちばんいいんです>
こうしたことに、衝撃をうける人は少なくなってきた。

「性」と関わる、社会規範と人間

売春や買春そして性行動は、社会規範とまともにぶつかるので、社会の問題が、象徴的にあらわれる。

「性」の問題は、こころの領域で特別に重要な部分を占めるので、人間の問題を象徴的につよくあらわす。「性行動」は社会と人間の、根の部分での全体の問題を、浮かびあがらせることになる。

仕事と家庭の問題を浮かびあがらせるキャリアウーマン

キャリアウーマンといわれる人たちは、細心の注意を払い、職場でも家庭でも男性社会の、女性に対するホンネの価値観、社会規範を踏み外さないように、発言し行動しなければならない。

一瞬も安心できない綱渡りのような<きつさ>があるだろうと想います。キャリアウーマンといわれる人たちが、強くも弱くも、ほぼ共通に感じているこうした<きつさ>を、想ってほしいのです。

佐野眞一氏のように、渡邊泰子を「日本の現代社会のありとあらゆる病理を持った堕落」とくくっていいのか? 売春が病理なら、昔から社会は病理であった。売春公認のドイツ・オランダ社会は病理か?

「渡邊泰子」という現象を、病理、精神的な障害であると片付けるのは容易なことです。精神医学は、渡邊泰子の奇妙で、凄惨(せいさん)な行動を解くためにいろいろな概念を準備しています。(本稿でも、後半でその一部の概念を使います)

しかし、私の関心はそこではない。女性のみならず男もなにか、<現代社会を生きることがきつい>と感じることの根底に、なにがあるのか、そこです。

あるひとからの短いeメール

<渡邊泰子のことを語るのは、自分自身を語るようなところがある。かなり慎重に言葉を選んでも、思いがもれる。誤解を受けるおそれもある。無意識のなかに封じこめておきたい部分です>

知人のキャリアウーマンはメールで言った。そうか・・・確かに。
ここに、通り過ぎることのできない大切なことがある。
<どんなに慎重に言葉を選んでも、思いがもれる・・・>

私の記述も結果はそうなるかもしれません。しかし、試みます。
言葉が、概念が、溢(あふ)れかえるような強い衝動があるのです。

記述の方法

事実情報は、佐野氏が著した労作『東電OL殺人事件』に借ります。佐野氏の記述は、冤罪(えんざい)と思われる殺人事件の裁判に力点がある。司法と警察の堕落や、闇を糾弾する価値は、確かにある。

「こころ」の分析の手掛かりは、精神分析で著名とされている臨床医、斎藤学(さいとうさとる)氏の研究成果を借ります。
http://www.iff.co.jp/frame/ssworld.html

【書き加えることの意味】
私が書き加えることの意味があるとすれば、「渡邊泰子はどんなメッセージを発していたのか?彼女のこころに迫ることができれば」という視点。「渡邊」と旧字で書くのは、彼女が、自分の姓を旧字で書いていたことに敬意を表すためです。こだわりがあった。


かすかな個人的接点

個人的に渡邊泰子を知っているわけではありません。彼女が「東洋経済」が主催する高橋亀吉賞で佳作と評価された論文を書いていることを知り、驚いた。

独学の経済分析の巨人:高橋亀吉の、比肩するものがない業績にならって、虚学ではなく経済の実学を試される、レベルの高い賞です。

【7年前】
7年くらい前だった、私もその賞を狙っていた時期があり、準備をした。重なって旧通産省が公募するコンピュータシステムの委託開発が6月頃に発表され、関係会社とプロジェクトを組んで応募した。

【システム開発文書作成】
6年間で5回応募し、幸運が重なり、連続で4つのシステムの採択を受けた。1つの開発プロジェクトで、厚さが約50センチくらいになる設計書と実験の報告を書くことが必要で、他の仕事は差し迫ったもの以外は、物理的にできなくなった。

私の簡単な経歴は、WEBの著者紹介のページに載せています。
http://www.cool-knowledge.com/srinfo-j.html

「クール・ナレッジ」のWEBと「ビジネス知識源」のメールマガジンを昨年
10月末にはじめたのは、国家の税を使ったシステム開発・実験が2000年9月でやっと終わり、他の原稿を書く時間的な余裕ができたからです。そして半年、あなたとのサイバー世界での出会いがあった。

渡邊泰子の論文の記述スタイル

<所得税・住民税減税と消費税導入、厚生年金保険料の引き上げなど、家計を取り巻く環境は制度的な側面から、ここへきて大きくかわろうとしている。本格的な高齢化社会の到来を展望すればこうし制度改革はようやく始まったところといえるだろう>

<今後は、家計に係る問題を取り上げる際には、分野のいかんを問わず、これらの諸制度との関連を考察する必要があるように思われる。諸制度のありかたに関する分析や議論では、制度・政策ではなく家計の側に軸をおいたものが必要になると考えられる>
      『家計収支構造の変化―制度改革論議のための一考察』

几帳面(きちょうめん)さがうかがえる文のスタイル。彼女の東電からの一時的な出向先だった日本リサーチの同僚は、言葉少なに、<優秀だったことは確かですね・・・>と言ったという。



アウトライン

アウトライン

渡邊泰子のアウトラインを示します。

<泰子さんは当時小学生でね、ランドセルをしょって歩いているところをよく見かけました。かわいい子でしたよ。奥さんはしっかりした人でした。いい家の人という感じで、ご主人はあまりみかけませんでしたが。品のいいおばあさんが時々たずねてきていました。いい家庭だなっていつも思ってました。みなさん品がいいんです。教養のある家庭という感じでした:近所の主婦:同書>

【父の死】
渡邊達夫は、1949年に東大工学部を卒業、東電に勤務した。泰子が慶応大学2年のとき、52歳でガンで死亡した。

父を尊敬し敬愛していた長女の泰子は、最初の拒食症にかかった。高校までのふっくらした面影はなくなって、激しく痩せた。周囲の人は過激なダイエットをしていると思っていた。

【印象】
<服装は地味でプレインな感じでした。ファッションにこだわるより、私は勉強するんだという感じです。いつも一人でまわりからポツンと離れているという印象があった・・・成績は優秀でした:ゼミの教官:同書>

【距離】
彼女の周囲から漏れてくる言葉は、<勉強や仕事一筋、優秀>ということです。しかし20代の女性にとって、こころの面でも生活でも大きな部分を占めるであろう男友だちとの付き合いや、恋愛の匂いは感じられない。男には距離をとるというのが、泰子の態度だった。

【母】
母は有名国立大学の教授を父にもち、日本女子大学の卒業。
母の3人の男兄弟のうち、2人は国立大学出身の医者という。

【就職】
泰子は、品川区で1957年(昭和32年)に生まれ、慶応女子高校から慶応大学の経済学部にすすみ、1980年に、父がいた東電に就職した。父の果たせなかったことへの挑戦があったように見える。

東電に入社した時<亡き父の名前を汚さぬよう頑張ります>といった。売春の客にも<電力こそ日本経済発展の原動力>と説き、30分くらいは、日本経済を語ることがあったという。

役員候補と言われながら、52歳で病に倒れた父を、こころから尊敬している様子で、電力の仕事には強い誇りをもっていたという。

【キャリアウーマン第1世代】
当時は「男女雇用機会均等(1986年法制化)」が話題になっていて、タテマエでは男女を差別しないという趣旨の、総合職の採用が始まった時期だった。

一般事務といわれるアシスタント的な仕事から、会社の業績や成果に直接関わる、男の領域の仕事へ4年生大卒が踏みこんだのが、泰子が就職した1980年ころからだった。

泰子の世代(1957年:昭和32年代生まれ)の職場進出は、この国でキャリアウーマン第1世代が直面した問題が浮び上がった時期だったといえる。(米国の約20年遅れ)

【職場】
泰子と同期で希望をもって入社した9名の女性のうち、現在の在籍はゼロであり、管理職に昇進したのは彼女だけだった。日本の会社は、仕事に生きようとする女性にとっては<きつい>職場であるという。

面接官は、結婚したら仕事を辞めますかと問う。受験生は辞めませんと答えるのが常である。しかし多くが辞める。この国では、そこで、みんなが思考を停止させている。

【生きるきつさ】
<きつい>という感じには、深い実感を感じます。仕事が<きつい>から、それからの逃避で売春に走ったという短絡的なものではない。この<きつさ>は仕事だけではない、女性が「独立して生きるきつさ」と言い換えてもいい。



■社会規範との戦い

▼社会規範

結婚して子どもを産んで家庭を守るという女性の枠組みを言うと、皆がそれだけではないと、否定する。しかし否定すればするほどその社会規範(暗黙の価値観)は強固に根を張る。言葉でなくふとした態度、まなざし、所作、「身振りの言語」で、どこにいても、いつも繰り返し伝えられる。

ビジネスを行う組織である会社の行動規範は、<Value>というコトバの形をとる。社会または世間の行動規範は、コトバにならない<無反省な共同規範の形>で、われわれの思考や行動を、支配している。

男は、暗黙の社会規範に直面し、それが悩みになることは少ない。多くの男は女性にとっての社会規範や枠組みの問題を、女性より気軽に考えている。イマジネーションの怠惰(たいだ)です。

▼結婚という社会規範

20代後半の女性にとって、<いつ結婚?>という気軽な言葉が、脅迫のようなインパクトがあることを感じる想像力を多くの男はもちあわせていない。

【受身の姿勢】
女性は、普通、自分から男にアプローチはできない。付き合っているひとがいないことは、自分が認められていないという全存在の否定に等しいことがある。敏感なひとにとっては、ふかい傷になる。

蛇足・・・1回だけ経験があります。ゴルフの練習場で隣にいた女性に、「お茶のみません?」...と声をかけられた。心底、驚愕した。瞬間に、たぶん引きつった顔で、ばね仕掛けの人形のように、「はい!」と答えて、私は椅子から立ちました。

価値が置かれるもの

女の外見、容貌、スタイル、そうしたものに男が価値を置いていることは、だれでも、こころのなかでは了解している。女性にとって男から誘われないことは、存在の否定になる。いつも聞かれる、挨拶代りの、ボーイフレンドは?結婚はまだ? こうした言葉は、多くの女性にとって「短刀」なのです。

【無関心なポジションにおかれることの根源的な恐怖】
女性がスタイルや容貌、髪型、服装に、細心の注意を払うのは普通です。社会は、男は、女の価値に対して「型」を与えている。かわいい女、いい女。きれいな女。「型」からはみ出すと、あるいはもれると、周囲の「無関心」や「変わった女」という仕打ちが待っている。個性的であれというのは表面、つくられた型にはまることが、価値だ。

マザー・テレサは言った。<「愛」の対極にあるものは「憎しみ」では決してない、それは「無関心」>、深い洞察です。

人は、だれかから憎まれても、根底から傷つくことはない。しかし、「無関心」のポジションに置かれたとき、これはもう、痛切な、生きてゆくことが難しくなるような、身を切る寂(さび)しさになる。

「イジメ」の本質も、周囲の意図的な無関心です。「無関心」は、相手の存在の否定です。静かな殺人に等しい。社会が、人々が、子供が、一刻もはやくこの根源的「暴力」に気がつくことを願います。

周囲のたった一人でいい。「あなたのことに関心をもっている」と、こころで伝えて欲しい。仲間に誘って欲しい。それが、今日、寂しさに必死に耐えている、かけがえのない命を救う。

女性の仕事と生活

日本の企業には、<結婚と仕事を両立させるシステムはありますが、出産と仕事を両立させるシステムは、ないんです>と泰子と同じゼミから大手都市銀行に就職した女性は言っている。

米国では、会社の建物のなかに、託児所のみならず幼稚園を準備するところも多い。仕事をする女性が子どもを産むことは自然である。それなら、会社のなかに、仕事をしながら、なにかあればすぐ行ける保育をする場所を準備していないのか? こうしたことが、会社のなかで、テーマになることはないのか? 避けているとすれば、なぜか?

そして、少子社会で将来は大変だという。人々が性交を減らしたのではない。子どもを育てることが難しい社会システムや住居をつくり、少子社会を嘆く。公式統計でも年間約50万人の子供が中絶される。女性のうち、4人に1人は妊娠中絶の経験者です。実数はもっと多い。
本当は、子育て期の女性を、職場に置きたくないのではないか。
こうした社会は、修正されなければ、いずれ滅びる。

暗黙の共同規範が、何重にも重なって<きつい職場>になる。

午後5時

【売春】
<最初は身なりのいい紳士タイプの客ばかりつれてきたけど、最後の方は、みるからに薄きたない労務者タイプでもなんでも連れこんでいた。料金も最初はこのあたりの相場の2万5千円から3万円とっていたようだが、最後は3千円でもいいって感じだったね:彼女が常連で使っていた円山町のラブホテル経営者:同書>

【午後5時】
午後5時の東電からの退社後は、渋谷の109の化粧室に行き、はでな化粧をほどこし、ロングヘアのカツラをつけ、決まってベージュのコートを着て、革のショルダーバックを肩にかけ、寒い日も雨の日も一日も休まず、極度に痩せた身体で円山町の路上に立ち、ノルマと決めたであろう4人の客を探した。

【楷書のクリスマスカード】
<彼女の律儀さは、2年間「客」としてつきあった50代の男が貸してくれたクリスマスカードやバースディカードからも伝わってきた。自分の姓をわざわざ旧字で書き、文章もきちんとした楷書でかかれていた。それはまるで一昔前の女学生のような気真面目さだった:同書>

彼女は、必ず、終電車で母と妹が住む永福の自宅に帰った。
朝は年収1000万円の東電キャリアウーマンとして出勤した。
売春は、果たして、お金が目的だったのか? なにに、必要なのか?
経済的な破綻の様子は、ないのです。

精神のバランスというもの

こうした異常に思えるギャップがあると、人は落ちつかなくなる。
一体、この全体を、どう理解したらいいのか?

【トラウマ説】
山の手の良家の子女が、何かをきっかけに、<転落>した行動をとった。幼児期や性格形成期の、性的なトラウマ(深いショック)が原因になった「多重人格」や、「精神のバランスが崩れた行動」と解釈するのが普通です。それで、解けるのか?

こうした解釈はわれわれを安心させる。ああ、あっちの世界のことだ。

【正常と異常を分かつ境界】
精神のバランス・・・じゃこちらの側にいるというわれわれは、精神のバランスがとれていると言えるのか。

あちら側と、こちら側をわける境界はどこにあるのか?

売春なんかしたことはない、だから正常な精神といえるのか?渡邊泰子は、精神に異常をきたしていたのか。売春をする女性、「フーゾク」で働く多くの女性、「エンコー」に励む高校生は、病んだ精神をもつ、異常な人間なのか? 異常とは、一体なにか?

女の売春の総回数と、ほぼ等しい回数であるはずの「買春」をする男たちはどうか? 女も男も、性的に病んだ精神なのか? 一体、性行動の異常と正常の境は、どこにあるのか? そう叫びたくなる。

【メッセージ】
<事件を知ったときはとても信じられませんでした。私なりにいろんな理由を考えてみましたが、いまだによくわかりません。彼女はすごく潔癖症でした。精神のバランスを欠いてしまったのではないかとういのが私なりの結論でした>

<でも女性なら誰でも、自分をどこまでもおとしめてみたい、という衝動をもっているんじゃないかとも思うんです:同書>

渡邊泰子と一緒のゼミにいた同級生が言った。高級マンションに商社マンの夫と子供、高価そうなペット犬に囲まれた生活の、年齢より10歳は若く見える魅力的な女性のコトバだという。

<女性なら誰でももっている自分をどこまでもおとしめてみたい衝動>と<人が羨むリッチで、品のいい生活>の微妙なバランス、そこで綱渡りをしているのが、現代人なのか?人間なのか。

【自己という他人】
私は渡邊泰子に<自己を客体化した他者、への殉教>の徹底を感じるのです。演技的な自己です。彼女が表現したコトバは、残されていない。39年の生涯の結末は「事件」として残っているだけです。

ジョディ・フォスターが、あの名画<タクシードライバー>で少女売春を演じても、だれも売春したとは思わない。渡邊泰子にとって、渋谷円山町は、隠された舞台だったか? ああ、結論は急ぐまい。


精神分析が準備しているもの

精神分析の臨床医、斎藤学氏のメッセージは、われわれの「こころの底」の闇を解くための手掛かりを与えます。
現代の家族は、そして現代はどんな闇を抱えているのか?

演技する家族

【決められた役割】
<「叱れない父」に人気が傾いていたのは、現在の家族が、家族メンバー相互の「やさしさ」「対立のなさ」を理想としていたためである。現在、父に期待されている役割は、とりあえず、帰りつく場所、温もりの場所として家族を維持することであってそれ以外ではない>

なるほど、社会が暗に決めた理想、理想という言葉が重過ぎるなら、社会が求めた、核家族の「いい家庭」のイメージ。昭和20年代生まれの団塊の世代の結婚のころ(1970年代)から、こうしたいい家庭のイメージができあがっている。

父親の役割は、家族にやさしく接し、対立がなく、そうした生活の場を稼ぎによって維持すること。それ以外の役割を求めていない。その機能を果たせない父は、家族にとって無能になる。

【抑圧】
<安全なその場所には不安、恐怖、混乱があってはならないので、家族メンバーの各々は、「妻子には言えないこと」、「夫と子どもにかくさなければならないこと」、「親だけには知られたくない秘密」を抱えこむことになった>

「いい家庭と家族」という共有イメージは、一方では、あってはならないことを示す。だれもが持つ人間の複雑さのうち、「いい家庭と家族」のイメージに沿わないものは抑圧する。

これはお互いの善意である。しかし罪である。共有される「いい家庭と家族」のイメージが強固で強ければ強いほど、「わるい家庭と家族」への抑圧もつよくなる。われわれは、人間を単純に見過ぎている。

【日常】
<露見しそうになった秘密や問題があれば、家族全員の暗黙の共謀によって、丁寧に否定され、日々の生活には最小の風波しかたたないようになっている:『叱れない親と叱りすぎる親』:以上、斎藤学>
http://www.iff.co.jp/frame/ssworld.html

ああ、そうだ、<理想の家族での役割のイメージ>を演じている。渡邊泰子の家庭も絵にかいたような、東京山の手の中流階級。

現代に特有のことではない。しかし、現代に特有である。なぜか?
おそらく家庭に入りこんだマスコミと情報による。テレビが、雑誌が、劇画が、「理想の家庭、家族の役割、正義、善、悪」の通俗イメージを、来る日も来る日も、ばらまく。

マスコミ以前は、古典を読み考えた。読んでも分からないことが多かった。だから自分にはわからないことがまだ多いと考えていた。

いつのまにか「知識」は、ぐんと軽い響きの「情報」に代った。「それはもう知っている」という人が増えた。イマジネーションを励起(れいき)して考えるのでなく、安直に解答が与えられることを求める。

「知っている」ということの意味は、なにか?
一体、なにを知っているといえるのか?

わかるように説明しないのは、教師が悪いという人も増えた。
人々は、とても自己中心になった。深い思考停止がある。

【いい家庭、家族像】
<いい家庭>としては「あってはならないこと」が社会的に決まっている。善も悪も含め、複雑なこころをもつ人間が、いい家庭の役割のイメージに自分を閉じこめ、演じる。

日曜日のディズニーランドやユニバーサルスタジオ。子供を引き連れた幸福そうに見える多くの家庭がある。彼らが、何を抑圧しているというのか?

テレビドラマのシナリオライターや、ニュースキャスターの通俗の価値観で、簡単に善・悪や、幸福・不幸、成功・不成功、いいひと・悪い人の札をはる。多少違うな、とは思いながらも、違うと感じたことをうまく説明ができないから、消極的に従うことになる。

マスコミはとても便利で、多くの情報を与えた。しかしその情報によって、多くのひとの思考回路が停止している。驚くほど一律の反応や行動が多い。瞬間芸での○×の評価。それはわからない、という人が少ない。(現代のバブルエコノミーも、実は、その結果です)

共同幻想で作った<いい家庭>にそぐわない、抑圧された内面は、口にしてはならない。それを言い出せば、<いい家庭>が支えを失って壊れることを、みんなは知っている。

<いい家庭>には、事件は起ってはならない。妻子に言えないこと、夫と子どもには言えないこと、親には言えないこと、こうしたことが、ある日「事件」となって暴発すると、周囲は言う。

<上品なお母さんと、おとなしい普通のお嬢さまの家庭でねぇ・・・ご主人は、いつも帰りが遅かったけれど>

【不条理の抑圧】
<いい家庭>とは誰が、いつ、どう決めたのか?人間が「不条理」なものであることは、小説のコトバでは語られる。それは小説や映画のフィクションの世界のことだ。自分の家庭の「現実」ではない。そう考えて、不条理を押しやっているのが、日常でしょう。

自分のこころを反省すれば、人間は単純じゃない、善でも悪でもない、しかし善でも悪でもあることは、だれでも知っているはずです。

家族は、お互いをもっともよく知っているはずであるとの前提がある。どの深さまで知っているのか? このときの知っている「深さ」とはなにをいうのか?

次回は「この深さ」の部分へ迫りましょう。「渡邊泰子」を通じて、われわれにとっての共通問題が、そして現代社会の根にある問題が浮かび上がるはずです。
(第2部へ続く)
小説風に読んでください。あらゆるところに、深い問題があるなぁ。

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 2001年5月18日(Vol.45):随想 こころの闇(1)

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  Systems Research Ltd. chief consultant吉田繁治
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