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こころの闇(第3部):
         精神的世界の現代的な事件
         アブナイ年齢ということ
         渡邊泰子と同世代の仕事の経験

こんにちは、吉田繁治です。渡邊泰子をテーマにした<こころの闇>の3部です。3部で完結させることは、できませんでした。


Vol.47随想 こころの闇(3)

1.いま思うこと:なぜこの考察をするのか?
2.物理的世界の古典的事件と、精神的世界の現代的事件
3.現代女性に特有のアブナイ年齢ということ
4.渡邊泰子と同世代の、仕事の上での経験
5.感想(第4部へ続く


いま思うこと:なぜこの考察をするのか?

渡邊泰子の問題に結論をつけるのは、不可能なことなのかもしれない。無理な不自然さが残る感じを、否めないのです。

しかし、いま私のなかに、あるいはお読みになったあなたの頭のなかで渦巻くいろいろな「想念」に、道筋をつける必要はあるように思います。

その推論が、洞察力の不足を示すことになるにせよ、もともと不足する私の洞察力をあらわにすることをおそれるのは卑怯(ひきょう)でしょう。

われわれの考察が、可能になる唯一の接点

【共通問題というもの】
仕事、職場、家庭、性行動、現代社会の、ふだんの日常では本人すら意識していない、根にあることを、「渡邊泰子」の事件はくっきりと浮かび上がらせた。重要なことは、社会はもちろん当事者や本人すら、その問題を意識していないのではないか、という点です。

【自由意志による目的行動】
意識した行動では、意図が、狙いが、目的がある。人は、単になにものかに動かされるのではなく、自己、環境、問題を認識し解釈して、目的を設定し、可能なリソース(資源)と手段を使った行動をする。ここには、「自由意志」による選択がある。

目的(または動機)が分かれば、行動の解釈はできる。行動の解釈は、企業体にせよ人にせよ、目的を見ることで可能になる。目的のない行動はカオス。生命は、根源では目的のないカオスである。生命は目的をもたない。ただ、生命がある。

自由意志(精神世界の主人)での選択】
人は、生きている間は変わり得る。物理の法則か確率に支配されるように見えるモノの世界とは、裁然(さいぜん)と次元が異なる。

人は「自由意志」をもち得る。行動の結果は「過去」である。過去に「現在からの意味付け」をすれば「歴史」になる。意味付けは、解釈で変わり得る。したがって、歴史は過去ではなく現在である。坂本竜馬は刺殺された。坂本竜馬の意味付けは現代に生きるわれわれが行なう。渡邊泰子は肉体は過去だが、その存在の意味は現在である。

「末来」は、物理の法則の世界ではなく、「精神の世界の主人である自由意志」が荷担して作る。物理の世界の末来は、確率的に確定している。人間の世界の末来は確定しない。それは、作られる。

われわれは物理の世界と精神世界を混合し、<即自(肉体)―対自(意識)>として、動的な時間を、生きる。

われわれには、行動を選ぶことができるから、その結果に責任を負うことになる。自由意志での選択ができないときは責任の概念とは、なじまない。自由意志は、責任を伴う。

【渡邊泰子との唯一の接点と私のスタンス】
渡邊泰子は現代社会の問題を浮かび上がらせるために行動したのではない。そんな意図は、毛頭ない。彼女は孤立した1個の精神世界で、こころの中で戦った。その徹底は、いたるところに認められる。

彼女が戦った自分の精神世界の主人、つまり彼女を動かしたもの、及びその問題がなんであるか、彼女は意識していなかったと思う。

売春や、世間に自分がダメであることを露呈(ろてい)する自傷的な表現の行為に見える彼女の行動は、ひとつひとつを見れば、彼女の自由意志によって選択された行動のように見えても、その行動は「内的な、なにものか」によって動かされていたと、見ることができる。

彼女の行動は、彼女が自由意志で選んだことだと言えば、それで渡邊泰子とのリレーションはスパンと切ることができる。彼女が選んで、自分でやったこと。そのうした見方もできる。そうならば、放っておけばよい、ということになる。

しかし、彼女が意識していなかった「なにものか」が彼女を動かしていたと仮定すれば、私はその「なにものかが何であるか」をわれわれの共通問題として考察することが可能になる。ここで、同時代に生きたわれわれと渡邊泰子の、唯一の結節点ができる。

われわれは、あるいは私は、彼女の行動の軌跡(きせき)を見て、情報として受けとって、彼女を動かしたもの、彼女の内面が図らずも意図したものがなんであったかを、考察することが可能になる。



物理的世界の古典的事件と、精神的世界の現代的事件

物理的世界の古典的な事件

過去の多くの事件は、この人なら、この環境なら、ということが多かった。事件の動機や目的、事件の原因、当事者のキャラクター(個性)、その環境がわかりやすかった。

動機はお金、性衝動、名誉欲、権力欲、怨み、嫉妬、復讐などで解釈ができた。いわば「物理的世界の古典的な事件」だった。目的が、容易に見えた。

精神的世界の現代的な事件

最近は、特に90年代からは、多くの、戸惑うような異常に見える事件が起こる。世間は、いつも<いやぁ、ほんとうに「普通」でしたよ。あのひとがねぇ・・・信じられません>と言う。

異常な事件を起こすようには見えない。目的も動機もはっきりしない。そして時間で風化し、皮相な解釈で蓋(ふた)をされ、裁判は終り、また次の異常な事件が起る。人の感受性はしだいに鈍化する。

あぁ、またか、でも自分には関係がない、今日の仕事だ。そうして自分の小世界を守る。本当に、それだけでいいのだろうか?

90年代からの多く衝撃的な事件は、理解しやすい物理的な世界のものから、周囲の誰にも見えない、本人すら意識できない「精神の世界の葛藤(かっとう)から発するもの」に変わっているように思える。

外観の「普通」が、過去には異常と言われたことを含んでいる。「普通のこと、普通の人」が普通でなくなり異常といわれたことを、ふくむようになった。人間はくっきした輪郭を失い、溶解しつるある。

私も同じ社会、同時代に生きる一人として、溶解した部分を多く抱える。発現の仕方の自己流のみが、私の個性といえる。

eメール

「渡邊泰子」を取り上げて、<こころの闇(1)>を送った直後から、多くのメールをいただいた。個々にいろいろな観点がある。過度の単純化を承知で、「とりあえず」2つにまとめます。

<・・・でも、渡邊明子はどこにでもいます・・・かつて私も仕事をきちんとこなしながら、テレクラで男をあさり、クラブでバイトをし、家にきちんと帰り、いくつもの顔を持っていました。でも、どれもが本当の私で、そこに求めるものがあった。あなたの言うように、征服したと思っている男を、バカにした目で見ていました>

「渡邊泰子」はどこにでもいる・・・しかし、このメールのひとは意志があった。どれもホンモノと言える意識があった。潔い自己責任。

<そう言えばそういう事件もあったなあ、という気持ちから始まり「どんなに慎重に言葉を選んでも想いが漏れる」というところで、手がとまりました。
私も独身で仕事を続けており、その中で突き刺さる「刃」を、特別なことじゃない皆も大変なんだ、このくらいのことでは負けてはいけない、強くなくてはいけない・・・と言い聞かせてきた気がします。だから、<きつい>ということを「認める」と、腰の力が抜けるというかもう、立ってられない気がします>

これくらいのことで負けてはいけない・・・<きつさ>を認めると、立っていられない・・・あぁ、やはりそうか。
「共通なこと」がある。「渡邊泰子」は特殊ではない。
そう、ならないのは、力をかき集めて留まっている意志です。



現代女性に特有のアブナイ年齢ということ

独身の現代女性の30台前半は、微妙な、とても、アブナイ時期であると聞いたことがあります。

彼女たちは、多くが、渡邊泰子の行動を<ひとごととは思えない>と感じた。自分には売春はできないが、ふとしたことで同じことをやったかもしれないという人が多い。「普通の人」が、です。

多くの男たちは、なぜそうなのかを、理解ができない。

▼意識の溝(みぞ)

男は、性行為に誘うまでは、「おんな」の目から見れば、滑稽にみえるほどの演技や約束、そして結局は仕事の自慢をする。誘って「おんな」を抱けば、もうそれでこの「おんな」は自分のもの、征服したと思っている子供らしさがあるという。

過去に体の関係があった相手は、いつまでも自分との関係が残っていると思いがちである。しかし「おんな」はもう関係は切れたと思っていることが多い。きれいに忘れるのは「おんな」の方が早いという。

男は、それ以上のことを考える想像力を欠く。そして女は単純だと思っている。しかし、おんなは男は、子供だと思っている。

クラブやバーで誘う男は、みんな、巧妙に自分の自慢話をする。女に見透かされている。しかし、男はそれを知らない。
(ハズカシイ自己反省です)

現代女性のアブナイ年齢ということ

30台前半の独身女性では、学校や職場のかつての友人は結婚し、家庭をもっている。会えば夫か子供の話題。次第に疎遠になる。職場では、成果を求められ責任ある立場にはなったが、本当のポジションは、はっきりしない。

会社や周囲は「私の存在」をどこかで迷惑がっているように感じる。
家に帰ると、親は、はやく結婚しろと繰り返す。

男たちは、対価を要求しないであろう安全な相手として、私のからだを求める。小娘じゃない、面倒なことにはならないよね、という卑怯(ひきょう)な計算が見える。私の全体を受けとめることはない。

「私」は、どこに存在しているのか?
これから、どうしたらいいのか?
生きる力を、どこからかき集めるのか?
声にならない内面の叫びが、合唱が、至るところで聞こえる。



渡邊泰子と同世代の、仕事の上での経験

以下に紹介するのは、ある渡邊泰子と同じ世代の方からのメールです。
<こころの闇(1)>を送った直後のものです。

▼経験のホンネ

女性の仕事上の、内面や感情を含む経験について、ホンネの発言は、なかなか得られません。署名入りでは周囲の誤解をまねく恐れもある。不利な扱いをうけるかもしれない。人には、黙っておこう。

私は今回つよく再認識させられた。自己反省をすれば、男社会からの目で女性を見ていた。

読んでいて、あたかも「渡邊泰子」本人が語っているように思える瞬間があった。彼女は、もういない。しかしメッセージは、多くの人に、確かに、伝わっている。
「渡邊泰子」が直面した問題は、現代女性の共通問題です。

『東電OL殺人事件』での記述上の欠落

佐野眞一の『東電OL殺人事件』は労作ではある。その価値を否定するものではない。しかし、渡邊泰子の「昼の部分、仕事の部分」がすっぽり欠落している。彼女の「きつさ」の描写が薄い。

「きつい」から、売春で逃れるという、単純な因果関係ではない。
「きつさ」が、「売春や嗜癖」にまで至るとき、渡邊泰子の、精神の世界である意識の化学反応、「こころの闇」が関わっている。

私には「渡邊泰子」は堕落と思えなかった。日本企業での女性の仕事での、深刻に考えられていない問題と、現代人に共通な精神世界の問題を表現しているように思えた。

以下の発言は、価値があります。多くのことを再認識した。
部分的に略しながら引用します。(※の部分は私の蛇足的感想)

<こころの闇(1)>を読んで
        
          (ロンドン在住:システム・コンサルタント)

【泰子と私の子供時代】

男女の平等は、私達のものだと信じていた子供時代だった。泰子と私の育った昭和40年代は日教組の強かった時代だったと記憶します。・・・そして、多くの子供達にはそれぞれ将来に夢がありました。

(※イデオロギーは、「こうあるべきだ」とし、逆に「現実の問題や原因」は隠す。男女は平等であるべきだ、で済ましてしまう。なぜ平等でない現実があるのか、を考えない。新聞の社説の論述の構造も似ています。派閥は解消すべきだ、で止まる。派閥の原因への考察がない。お札(ふだ)をはるだけの論述。要は、今は構造改革、不良債権処理ををやるべきだ、で終りです。皮相です。)

【就職戦線−断崖の前に立つ】

そんな私達が4大を卒業し、迎えた就職戦線は、みじめなものでした。
・・・就職説明会では、男女はもちろん別の部屋でした。通常は男性でも国立大卒者と私大卒者で分類されます。

女性は当時、その上に短大卒と4大卒、そして自宅暮らし、一人暮しで、またふるいをかけられました。

自宅暮らしと一人暮しのふるいでは、「身持ち」を理由にされました。親兄弟と暮らしている人間のほうが、身持ちもしっかりしているということです。親から独立して暮らしていた私には、信じられない偏見に感じました。

よく面接官に言ったものです。「一人暮しの人間のほうが腰掛けで就職するという意識が少ないはずです。生活がかかっていますもの」
(逆の面では)だからこそ、やめさせづらかったので、最初から採らなかった?

男から見た、美人や好みという絶対基準】

そんな折、当時、人事部に配属された先輩女性が、ある日、後輩達に、ついもらして言ったことが、またショックでした。

<私も去年、日参するほど会社訪問して、意欲をわかってもらおうと懸命になっていたのに、うちの会社の人事部の女性採用ったらどうやっていると思う? 写真だけわかるように、履歴書並べて、遠目で、「ぼくこの子好み」「ぼくはこっちの子」って具合よ。それで採用が決まるのよ。その他大勢の女子社員の採用では、履歴書の内容はどうでも良いのよ。がっかりよ。 >

そう、美人かどうかという決定的なふるいもあったのです。

(※「美人論」は別の考察を用意する必要がありますね。密かな基準になっていることは否めないでしょう。)

職場】

そして、どうにか職にありつけた女性に求められたのは「職場の花」「お茶汲み」「机ふき」「おやつ・煙草のお使い」

自分の与えられた、あるいは配属する部署の男性社員全ての、湯のみ茶碗とお茶の好みを、覚えなければならない。

誰がコーヒーに砂糖を何杯いれるかいれないか、ミルクを入れるかどうか。大学を卒業してやっていることは・・・決定的な屈辱感でした。

(※私はある女子社員に、毎日こんなことまでやるって大変だねぇと声をかけたら、彼女の目から、涙があふれました)

朝は、他の男性社員より30分早く来て、机をふくように言われました。男性社員が新聞や雑誌を読んでお茶をすすっている横で、せっせと雑巾がけをする。「早朝手当て下さい」といって私は上司たちを怒らせたものです。

こんな状態だからこそ、男女雇用機会均等法の必要性が言われていたのでしょうけれど、当時は机上のプランの段階だった。私達の同僚のほとんどが、「仕事に生きようとする女性」となる前に、この圧倒的差別感の中であきらめと脱力感におそわれ、結婚退職という道を選択していったのです。

(※差別感を感じたことが、仕事へのあきらめを生み、結婚退職の原因になることがある、というのは記憶する必要があります。こうした発言は、会社のなかでは、決して得られない)

【社会規範−結婚】

結婚して子供を産んで家庭を守るというのが、女性に与えられている暗黙の社会規範だという。欧米では、それは夫婦の規範です。

子供を産むのは女性にしかできませんが子供を作るのは夫婦のことで、家庭を守るのは夫婦共同の仕事のはずです。
日本人の男性の意識には、ここが決定的に欠如しています。

理由の一つは自分で自分の世話ができないマザーボーイの多いこと。彼らにとって、結婚は新しい母親をゲットすること、です。
自分が子供だから、子育てを妻におしつけるのです。この国の社会規範は、そんな男性達に都合のいいようにつくられてきたといえる。

(※私も子供を産んで育てるのが<夫婦の規範>という視点はなかった。<マザーボーイ>は確かに、多い。精神分析では<自己愛>や、<アダルト・チルドレン>と言っています。いずれも親が作った枠組みに留まっていて別の自己を作ることができなかった結果です。)

【今50代前半の団塊の世代を、1世代下の世代から見ると】

団塊の世代は、大学紛争の世代でもあります。あれを見た当時は子供でよくわからなかったけれど、高校生くらいのときは、あの人達が世の中を変えてくれるんじゃないかなんて、本気で考えていたりしました。大学紛争は、ファッションのように消えてしまって、反動で「当局・企業」側についた人達の多いこと。

彼らの作った「核家族」の時代も、姑と嫁の確執に対処しきれない男達の弱さの反映ともいえるでしょう。そして、「核家族」の時代は女性に「仕事か子育てか」の2者択一を余儀なくしたのです。

父権は確かに失われていったでしょう。でも、女性を競争相手から排した職場で、彼らは結構楽しくやっていたのではないでしょうか。

父権喪失は結果論です。団塊時代の男性達は、もともとそれをもとめていなかったと思います。子育ての責任を女性に押し付け、自分は会社で(成果にたいする)コミットの無い生活をエンジョイしていたのですから。バブル景気もあったし。

よくいわれることですが、現代の日本人の父親に「家族サービス」という意識があります。欧米では家族と過ごすのは「自分の楽しみ」であり、日本的なニュアンスの「仕方なくサービスする」という意識とはまったく違うといいます。 「家族サービス」も戦後の言葉ですよね。

(※多くの団塊の世代の方、30台後半の世代が、団塊の世代をどうみているかよく認識してください。こうした発言も得られません)

セクハラという言葉の存在しなかった時代】

就職して、お茶汲みを後輩達に譲りようやく、アシスタントの仕事でもそれに没頭できるようになると、今度は、肩たたきが始まります。

「まだ結婚しないの?」「おばちゃんになる前になんとかしなくちゃな」「XX部のXは独身だけどどうか?」

(※男は、単に挨拶と気軽に思っている。意識しない「短刀」です)

セクハラにおせっかい、うんざりする毎日がある。封筒にお金と待ち合わせ場所をかいた紙を入れて、仕事中の書類のうえに置いた上司もあった。内心激怒をしながら、立場の弱さから、何とか軽く逃げて取り繕う自分にも、惨めさと怒りを感じたものです。
アメリカ映画で、失礼な男達にパンチを食らわす女性に本当にあこがれたものです。

(※おぉ・・・なんと、でも「男社会」の現実でしょう)

確かに、いわゆる「腰掛け」「婿サン探し」という女性達もたくさんいましたから、働く・仕事に生きたい女性側にも現状を変えきれないタガの緩(ゆる)みがありました。上昇していこうとする足を張るのは仲間であるはずの女性でもあったから、四面楚歌(しめんそか)ですね。

(※女性にも2グループがあることが分かります。安易にレッテル張りはできない。両方が、個人のなかで混在しているからです)

当時は、カラオケのデュエット曲は、古いのも新しいのも全部覚えたものです。社員旅行や宴会で強いられるから。そう言えば、社員旅行の宴会「お酌」も当たり前でしたね。雑誌に「OLのホンネ」などが登場したのはずっと後、私達の若い後輩達の時代のことです。

(※そこまでの「おもねり」が必要だった。社員旅行や宴会が嫌われる理由。男はその意識はない。親睦のいい機会と思っている)

渡辺泰子がエリートで東電に入ったとはいえ、当時、国の会社であり役所気質の東電が、女性を平等に扱ったとは思えません。誰に聞いても、女性達は会社で同じような待遇を受けていたと覚えています。東電の子会社で学生時代アルバイトをしたことがあります。女性は「女の子」でしたね、あくまでも。

バブルの時代と機会均等】

80年代後半に入って社会も活気付き、男女機会均等法(1986年)も施行された。後輩達は「総合職」「一般職」という差が残されたものの、信じられないくらい「売り手市場」で意気揚々と入社してくる。

自分はと言えば、職場経験も長くなり、「お局(つぼね)」などと陰口を言われながらも、仕事上で少しずつステータスをあげようと努力し始める。もちろん、男性から比べれば遅々としています。

そのころ、早い男性の同期には、昇進をする者がでてくる。ここでまた女性達は、「昇進」という文字が自分の将来には約束されていないと気づきます。もちろん男性でもそうでしょう。でも、同じレベルなら男性が勝ち取る。これは暗黙の了解です。
そして女性はサブになります。 また。挫折感があります。

(※可能な限り公正fairな評価ができるということであれば、成果給や利益分配、成果目標へのコミットメントの制度は、意欲を持つ女性にこそ向いているかもしれませんね。男性は、リスクを恐れるひとが多い)

今でもそうでしょうね。日本企業で管理職をしている同年の友人に「あなたの会社、海外にも支社がたくさんあるようだけれど、女性の管理職っているの?」と質問したことがありました。答えは「ほとんどいない」。

なぜか?と聞くと「その必要がなかった」という答え。愕然(がくぜん)としました。せめて「適当な人材が見つからなかった」と言って欲しかったのです。「(女性を管理職にする)必要がない」ってどういうこと?

(※Glass Ceiling(ガラスの天井)の存在。公式にはないことになっているが、実際は厳然とある壁)

それでは、勝ち取る(認めてもらう)にはどうすればいいか、男性の2倍努力します。表面で、裏で。 知識では勝り、でも男性を怒らせないようにしなければならない。

仕事上の男性の女性に対する嫉妬の結果は、恐ろしい。じわじわと認めさせなければなりません。言動にも細心の注意を払って「気がついたら、彼女、結構使える」というところまで持っていくには、本当に、時間と忍耐・精神力がいるものです。

(※周囲の、たくさんいるはずの意欲ある女性が、黙って、こんな努力を重ねていることを知る必要あります。発言するひとは稀)

もう一度結婚について】

ここで重要なポイントは、この段階で、「仕事に生きる=独身、あるいは(結婚での)出産あきらめ」という方程式が前提になっていると言うことです。男性の2倍の時間と気力を費やしながら、ダンナの世話、ましてや出産などとてもできるものではないです。

(※仕事上での責任が重くなったときの家事と育児労働は苛酷です。育児は、全存在で、子供と向き合うことでもある)

私個人は、この段階で専門技術職になり、結婚もして、幸い私が仕事をすることに理解のある夫を持っていましたし、外人の設立した会社に勤めていて、社内の雰囲気では、出産子育てをしてもポジションを剥奪(はくだつ)されるという心配は薄かったです。

(※多くの欧米の会社では、人間の自然である育児が不利にならないような配慮があります。日本の会社は不自然です。不自然なものは無理が生じます。現在が、まさにそうした不自然な状態)

ところが、クライアント(顧客)が「日本人」なのです。そして保育を助ける社会の枠組みもない、観念も違う。外国人と結婚した友人は、よくベビーシッターを頼んでいましたが、私の周囲では、「子供を他人に預けて」と悪いようにとる人たちが、まだまだ大勢いましたし、いまだにそうです。

夫達も、自分のゴルフ道具やパチンコにはお金を出しても、ベビーシッター代は抵抗を感じる。

働く女性が結婚・育児を両立したくても、日本の社会が許さない。1個人や1家庭や1会社だけではなにも動かせない。女性の社会での・家庭での「きつさ」は社会全体が変わるまで、取り除けないのです。

私はきつさを忘れるために、アフタースクールの英会話学校に通いました。家庭と職場で常に女性として「こうあるべき」を強いられる毎日に、自分だけの隙間(すきま)を作りたかったのだと思います。

(※男は女性の仕事での意識、育児、家事のことを知らない。そして、日本の多くの会社が、暗黙に行なっていることは、仕事の意欲をもつ女性にとって暴力に近いことがわかります。子供が少なくなったのには原因がある。モティベーティブな女性が、どんな心情で社会を見ているか、われわれは知らなさ過ぎる。情報社会は、筋肉労働ではないから、女性が向いているとも思えるのです。PCの操作も、平均すれば女性のほうが上でしょう。サブだけをさせるのには、とてももったいない。)

昇進と更なる壁】

2倍の努力をしてようやく昇進し、まわりを見渡すと、今度は部下達が挑戦的な目で見てきます。女性の管理職たちには、自分が年上とかは関係無い。年上の男性が上司ならそんな態度はとりません。そして、また男性達に敵を作らないように、2倍努力は続けられる。それまで以上にぶ厚い鎧(よろい)をつけて。

(※男性のグループに敵を作らないことには細心の注意が必要でしょうね。あからさまに能力を示すことができない)

顧客との折衝では(管理職である私が)「XXマネージャ」「XX部長」という名刺を出しても、同席している男性同僚あるいは男性部下に話しかけられることがよくありました。

(※女性相手の仕事上の折衝は、男は慣れていない。したがって甘くなるか、避けることがある)

友人の営業部マネージャーの女性は、お客から「男の人を連れてきなさい」と暗に言われたと嘆(なげ)いていたことがあります。
仕方ないので男性部下を連れて行き、商談最中は、にっこり笑って黙って座っていて、あとで社内で仕切って指示していたといいます。

そんな女性達の、内心の苦味を想像できますか? そして耐えきれないほどの孤独感。

男性のように部下を誘って、赤提灯で一杯なんて言うのも、必ずしもままなりません。赤提灯とは言え、鎧(よろい)を外せない私達ですし、彼らもホンネなんか話しません。

(※凄いですね・・・この屈辱を感じている人は多いでしょう。やはり大きな問題)

東電OL渡邊泰子のこと

彼女が売春をはじめた32歳とは、彼女にとってどんな時期だったのでしょう

多分30歳までは社内で、「職場の花的」女性としての価値が残されていた。「30歳」という垣根は女性にとって、「女の子」から「おばさん」と一気に呼び名が変わる魔の垣根といえましょう。独身ならいきなり「ハイミス」となる。

(※独身女性の30台前半はアブナイ時期と聞きます。でも私は、深刻に受け止めていませんでした。「渡邊泰子」のことを考えるようになって、はじめて認識したというのが正直なところです)

そんな彼女の孤独な毎日の戦いは、同性として、ある程度想像できます。そして、仕事には細心の注意と2倍の努力、自宅では「いいこ」への期待に答え無ければならない。

ああ、開放されたい!

私は、渡邊泰子は精神異常などでなく、かなり正常な人間だったのではないかと思います。彼女が一人暮らしならどうだったかとも思います。職場でも自宅でも、緊張感の続く毎日では身が持ちません。「売春」と言う行為を道具にして、彼女は開放感を求めたのではないでしょうか?

彼女にとってのアフター5の「仕事」には価値があった。

自分で全てを自由にコントロールできる。
男性をコントロールできる。
(ベッドでは男性は彼女を対等に扱っていたかもしれないし、彼女がリードしていたかもしれませんね、それなら優越感を味わえる)
渡邊泰子という分厚い鎧(よろい)を脱いで開放される。

むしろ「転落欲求」という意識は薄かったと思います。それより、真の自分を肯定したいという意識。セックス好きと言う意味ではありません。売春はあくまで道具だったのでしょう。

日常的な抑圧に対して、異常な行為による開放感の取得。このバランスが、エリート、いい家庭の良女、泰子には必要だったし重要だったのでしょう。

ああ、開放されたい!

人から言わせれば、キャリアウーマンである私自身にも、波のように押し寄せた、そして押し寄せつづける感覚です。

実は「降格」された背景には、私が女性という要素もあったのです。私の自己開放の方法は国外脱出。彼女にもなにかトリガーがあったのかもしれません。

いつか、私よりすこし若い同僚に、「***さん、今の若い子達に、『あたし達はキャリアウーマン第一世代として戦ってきたのよ』なんていうと反感をかうのよ。彼女達はそんな世代を尊敬するどころか、ダサいって見るらしい。言わないほうがいいよ」といわれたことがある。

今の子達は「戦う」などという意識はダサいと感じるそうです。そんなことじゃあ、いつまでたっても社会はかわりませんね。
そして、相当にダサいことを、私は今しているのですね。

              (以上で、eメールの引用終り)


■感想

▼共通の価値観に立つためのイマジネーション

この方からは<受けとめて、立っていただけますか>というメールをいただいた。私は<受けとめることができるかどうかわからないけれど、受けとめます>と答えた上で、受け取ったことをご報告します。勤務の前日にもかかわらず徹夜でお書きになったものです。

私は男性であり、こうした経験や屈辱、<きつさ>を味わったことはない。唯一の方法は、想像力を励起(れいき)し、貴重なメッセージを、同じ価値観に立って受けとめることです。

渡邊泰子

叫びたい<きつさ>から、売春や、自分の存在を裏返って認めさせるための、自傷行動、嗜癖に走らないのが多くの人です。渡邊泰子は、ここで、彼女の「精神世界」が独特の化学反応を起こしたといえるでしょう。ここには、19世紀から、精神医学として実証的な研究が重ねられています。

<これくらいのことで負けてはいけない・・・きつさを認めると、立っていられない・・・> これが、共通経験をもつ意欲的な意識、意識でしょう。

情報社会の一面

あらためて日本の社会・企業は現在、多くの損失をしていると感じます。情報社会は、従来は直接情報に接する手段が持ちにくかった人達やグループが、情報のメディアをもち得る社会になります。

過去は直接情報に接したり、情報発信ができる人や組織は限られていた。現在は従来は情報として伝達できなかったような、しかし価値になり得るものを伝える手段があるのです。

情報独占や情報伝達網(例えば新聞の宅配網)のみによって、情報権力を保ってきた組織、階級は崩れるのです。事例をあげずとも、90年代の変化の基底が、これだったことはお分かりでしょう。

長野県知事:田中康夫が行なった<記者クラブ解体>は先駆けでしょう。大手マスコミは、週刊文春を除いてこのことを意識的に取り上げません。理由は、大手マスコミの情報独占のカルテルが崩れるからです。

こうした態度をみんなが知れば、呆(あき)れるでしょう。私は現代マスコミには、個々人の記者ではなく、組織に病があると考えています。

私の自己責任にしか依存しないメール・マガジンという手段であればこそ、堂々と、書けることです。メディアからお金をもらっているわけではない。インターネットがブロードバンドになって、自動的に、大マスコミは、組織解体か、合併になります。あと、数年です。
完結編へ続く)

なんとか、読者の方のお助けを借りて「渡邊泰子」の昼を明らかにできました。完結編では、精神世界のドラマへ迫ります。

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▼WEBで、他の考察を体系的に
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 2001年5月21日(Vol.47):随想 こころの闇(3)

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